本名エミール・シャー(Emile Czaja)。
1909年オーストラリア・シドニー生まれ。

1937年にインドでデビュー。
1933年に公開された有名な映画『キングコング』がインドでも上映され、その人気にあやかってリングネームを『キングコング』とした模様です。
1945年にパキスタンのラホールで20万人の大観衆の前で、ハミダ・ペールワンと対戦したそうですが…20万人も入れるスタジアムなんてあるかい!とツッコミせずにはおれません(笑)
まぁ、それはそれとして、格闘一族であるペールワンの一族と試合しているので、認められるほどのレスリングの実力者だったのでしょう。

欧州やニュージーランド、オーストラリアなどに遠征し、ダラ・シンとはライバル関係にあったようです。
その後にシンガポールに定着。
詳細の日時は不明ですが、1956年、シンガポールにルー・テーズを招き、NWA世界ヘビー級王座に挑戦しているそうです。

東南アジア遠征にやってきた力道山と対戦し引き分けた縁で1955年日本プロレスに来日。
アジア選手権のシングル部門ではシンガポール代表として出場し、力道山と決勝を争い、敗れて準優勝。
代わりにタッグ部門ではタイガー・ジョキンダーをパートナーにアジアタッグ初代王者になっています。

1959年の第1回ワールドリーグ戦にはなぜかハンガリー代表として出場。
この理由は調査中です。
欧州に遠征の機会があったとはいえ、ハンガリーと何の縁があったかは現時点ではわかりません。
また、アムステルダム五輪のレスリング銀メダリストという記事もあるのですが、当時のオリンピックのメダリスト記録を調べてもEmile Czajaの名前が出てこないのです。

ともあれ、このリーグ戦では不調だったのか優勝戦線に残ることができませんでした。
準優勝だったジェス・オルテガとの引き分けは目を引きますが。
(蛇足ですが、同シリーズではオルテガとのタッグが実現しています。当時の日本プロレスでは大型の外人タッグだったのではなかったのでしょうか)


プロレスではありませんが、キックボクシング漫画『キックの鬼』の話。
シンガポールのプロ格闘技界のボスとなったキングコングが、ムエタイ選手にプロレス流の秘密特訓をさせて『打倒!沢村忠』を掲げて次々と挑戦者を送り込むストーリーがありました。
1人はハンマー投げ(アイリッシュホイップ?)、もう1人はココバット(ボボブラジルと同様にジャンプして脳天に打ち込む)が秘密兵器でした。
まぁ、ぶっちゃけ…漫画ならではのフィクションでしょう(笑)
正統的なキックボクシングではなくルールの枠を超えた反則技として、プロレス技がハマったのでしょうね。
(沢村が所属していた団体は頭突きが反則でしたが、投げ技はOKでした)
また、東南アジアの有名なレスラーだと、キングコングしかいないわけで。そういう意味では当たり役だったのでしょうね。
ココバット対策として、ボボ・ブラジルと対戦経験のあるジャイアント馬場に助言をいただくシーンもありますがこれも創作でしょう。
でも、当時の読者ならキックのスター・沢村とプロレスのスター・ジャイアント馬場の接点に胸がときめいたのでしょうね。
え?私?
私は中学生のころに古本屋で見つけて読んだだけです。当時は物心つく前の子供でしたから(笑)


キングコングはワールドリーグ戦の来日を最後に現役引退し、シンガポールでプロモーターを務めているのですが、1970年に交通事故で死亡しています。